大会会長挨拶

我々の生きる環境は、IT革命、そしてコロナ禍を経て、急激に変容した。ChatGPTは人間と同レベルの知能を有し、知識や情報の収集、単純作業はAIに置き換えることができる。科学技術がどれほど進歩しても人間の創造性は失われることはない、と豪語するものもいるが、疑問である。これらの道具を使いこなす有機体としての人間がどれほどに「成熟」しているのか。環境刺激を使いこなす我々に立ちはだかる問題は、フロイトのいう人間の「快感原則」である。今や世界的に快感原則から現実原則への展開は難しくなっている。自らの衝動・欲求を自律的に満たすことを必要としない、快感原則に凌駕されている世の中である。

個人における心身の平衡状態は、外的および内的刺激による快感原則と現実原則の力学によって常に乱され、その乱れを回復する運動の中にある(Hartmann, 1939)。この乱れを回復する力学展開に、環境に向けての「外的適応」、内的な衝動・欲求にむけての「内的適応」能力の発達がある。フロイトによる精神分析は、S-O-Rモデルでいうところの自律的有機体Oにおける能動性の発生と適応発達のメカニズムを分析するものとして発展している(小谷, in print)。精神分析における「成熟」は、この内的適応能力の発達といえる。

現代における社会的不適応の問題を表す人々には、衝動-欲求に気づくことのできない苦しみがある。有機体Oの内的過程を無視するS-Rモデルに傾きつつある所以である。この成熟過程の困難さに立ち向かうことができるのは、現在のところ精神分析家だけであろう。視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚の五感による外的刺激の知覚に始まり、それに応じて感情、行動が調和し、知覚-覚知-思考を辿ることができるならば、本能による衝動は能動的にそのエネルギー運用に向かい、暴れることはない。精神分析の力動理論は、このプロセス展開を捉えることに長けている。

本大会では、精神分析理論における成熟の追究と、成熟過程を生み出すセラピストの側の面接技法を鍛錬する。セラピストとクライアントとのライブのやりとりから学ぶ実践的で熱量あふれる唯一無二の本学会にぜひ足を運んでいただき、臨床の仕事の喜びを味わっていただきたい。

中村有希

大会会長

中村 有希 Ph.D.

PAS心理教育研究所 臨床ディレクター
東京医科大学 非常勤講師
兵庫教育大学 非常勤講師

大会会長プロフィール

国際基督教大学博士後期課程修了。博士(教育学)。臨床心理士。

現パス心理教育研究所 臨床ディレクター、東京医科大学/兵庫教育大学 非常勤講師。

専門は精神分析的心理療法。管理職、教員、スクールカウンセラー、精神科医のスーパービジョン、企業の組織開発、コーチングも行っている。

人間の攻撃性を創造性に転換するメカニズムの研究で博士号を取得。抑うつ予防、PTSD予防のための心理教育プログラム(Socio-Energetic Training:SET)開発及び実践、女性の成熟に向けての発達課題の研究を進めている。